忘れなかった日。記憶より想いが生きていると感じたこと。

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──祖母が心配してくれた日のこと。

祖母は最近、短い時間の記憶が苦手になってきています。

家に行って「こんにちは」と挨拶して、庭の草を抜いて部屋に戻ると、

「あら、来たの?」と、まるで初めて会ったように言うことも。

父は毎週末に通っているけれど、祖母の口癖は

「お仕事忙しいのよね、ずいぶん会ってないのよ。でも仕事があるのはいいことね。」

10年前の“忙しい父”の印象が、今も心の中で続いているのかもしれません。

実際は、平日も趣味のゴルフに出かけたり、

仕事帰りにふらっと顔を出したりするほど時間にゆとりがあるのに。

前日に父が来ていたとしても「最近来てないのよね」と言われます。

そんな祖母に、ある日こう言って出かけました。

「病院でお薬をもらって、お買い物してから帰ってくるね。」と一言。

また戻ったときに

「あら、来たのね。元気だった?」と、

今日が“初めての再会”みたいになるんだろうなぁ。

だから、この日もどうせ忘れちゃうだろうと思って出掛けました。

ところが。

用事を終えて戻ると、電話の前の椅子に腰を下ろそうとしている祖母が居て。

神妙な顔をしているから「どこかに電話するの?」と聞くと、

「あら〜、あなたが遅いから気になって。事故じゃないかと心配で、電話しようと思ってたのよ。

よかった〜、安心した〜。」

そう言って、心の底からホッとしたように笑いました。

その瞬間、胸がいっぱいになりました。

“忘れちゃう”と思い込んでいたのに、ちゃんと覚えていてくれていました。

私が居ない間、ずっと気にかけていてくれていた

驚きと、うれしさと、そして少しの罪悪感。

「認知症=忘れる」と決めつけていた自分を、少し恥ずかしくなりました。

「病院は混むだろうから、遅くなるよ」その一言を「忘れるだろう」と思わず伝えていたら。

前に戻りの予定時間をメモ書きで残すこともありましたが、その日はしませんでした。

たとえ忘れてしまうかもしれないことでも、誠実に伝えないといけないと反省しました。

忘れていたとしても怒らないで

そして、覚えていてくれたときは、ただ感謝したいとも思いました。

いつも私が帰る時に祖母は

「車の運転には用心してね。もしも約束に遅れそうなときは、おばあちゃんのせいにしていいから。絶対に焦らないで運転するのよ。」と必ず言います。

今日が何日なのか、自分が何歳なのか忘れてしまったとしても、私に対する愛情や想いは心にしっかりとあるんだなぁとうれしく思いました。

今日も安全運転で祖母に会いに行きたいです。